店長の日記
ツール・ド・ゆう チャンピオンクラス優勝しました!
ツールドゆう、チャンピオンクラス優勝しました。
以下、レースレポートという名の自分語りとなります。
もしお時間よろしければどうぞ(けっこう長い)…
…
ツールドゆうの初出場は2004年だった。
8kmほどのヒルクライムレースで、
ロードレースを始めて間がない高校3年生の頃に出場し、優勝した。
自分は上り坂が得意なんだと自信を持たせてくれたレースである。
京都の大学に入学し、自転車競技部で走り始めたあとも、帰省しては出場させていただいた。
大学4年生の時には自己最速タイムでコースレコード。
その年はアメリカ合宿帰り(カッケー)で乗り込みに乗り込んでおり、このタイムはもう出せないだろうなと思った。
社会人になってからも過去の練習貯金でちょくちょく出場し
有難くも大会パンフレットに記載していただいている過去の記録に酔いながら
自転車競技に明け暮れた青春の余韻に浸る。
そんな一歩引いた立ち位置で
もうちょっと行ったら過去の自分語りをしそうなオッサンになりかけていた(もうなってる?笑)。
そこにある選手(M選手)が現れる。
あれよあれよと速くなり、ついに2018年にはコースレコードを塗り替えられてしまった。
しかも歳はほとんど一緒…
嫉妬の炎に焼かれ、その後も燻り続けた。
じゃあ何か行動するのかといえば、何もしない。
体脂肪率は25%に届かんとしながら、プライドだけは一丁前である。
そうして昨年(2022年)に受診した人間ドックではいよいよ怪しい数値となり、
ヒルクライムどころか成人病まっしぐらである。
そうして数ヶ月のダイエットで大学時代とほぼ同じ体重で臨んだ、昨年のスタートライン。
いけるんじゃないかと思った。
フタを開ければ開始2km弱でアッサリ千切られ
M選手含むトップ2人の後ろ姿を見送りながら、みぞおちあたりから湧き出るドス黒い嫉妬の炎に焼かれ、
今のスタイルのヒルクライムの延長線上ではトップ2人の走りに太刀打ちできないことを感じた。
ゴール後、M選手がまたもコースレコードを更新したことを知る…。
日を追うごとに、俺もまた優勝したいという気持ちが強まっていく。
しかし優勝するとなると、それは自身が1番速かった16年前の我に勝つ必要があることを意味している。
若い頃に運動をされていた方なら、40歳手前で20代前半の頃の自分に勝つチャレンジにゾッとする気持ちがわかっていただけると思う。
しかしやることは
①軽くなること
②出力を増やすこと
以外に無い。
①はしんどいが可能だ。食べるか食べないかの分岐点で食べなければ明らかに達成できる。
(自転車屋なら他に気の利いたこと言わないといけませんね、すみません‥笑)
②はかなり絶望的だった。
自身の乗り方に関してはかなり煮詰められている実感があり、これから練習方法に少々工夫を凝らしたところで
劇的な改善はない予感があった。
身近に自分と乗り方の宗派が全く異なる短距離選手がいる。
シッティングでのスピードが異常に伸び、こちらはダンシングですら離されていく。
しかも体格はほとんど同じで、筋力では説明がつかない。
その選手の後ろにつかせていただき、動き方の意識を徹底的に見て、聞いて盗もうとした。
数ヶ月やったあたりで、少しだけだが、それまでより疲れずに進む感触があった。
その動きをずっと繰り返し、春が終わる頃には調子が良い日はその乗り方が維持できるレベルになった。
自分がロードレースを始めた時から世の中のフレームのジオメトリが変わっていっているのに
自分の乗り方は高2で買ったロードバイクの乗り方の本の乗り方から大筋で変わっておらず
最近の自転車はこうやって乗るのか発見(した気がして)少し感動した。
第2のブレイクスルーはパワーメーターの導入である。
なんとなくこうしたら楽に速いペースが維持できている気がする乗り方…が本当にワットが出ていたのだ。
疑心暗鬼だった部分が確信に変われば、あとはその動きを磨いていくだけ。
じゃあもっと早く導入していればもっと速くなっていたかというと、
お客さんにいただいた心拍ベルトの心拍データだけを頼りに、こうかな?こうかな?と興味を持ってやり続けた
1年間があったからこそ、知りたいテーマが見えていたのでは無いかと思う。
パワーメーターを導入したのがツールドゆうの1ヶ月前。
そこからは得意だと確信した乗り方の意識をひたすら磨き、
自分で内容を工夫しメニューを作ってやってみた。
そして迎えたツールドゆう2023、スタートライン。
体重は昨年よりも軽く、自分の能力も今までで1番把握しており、やるべきことは分かっている。
ドキドキはするが、漠然とした不安は無い。
スタート!
クリートがうまくキャッチでき、喜びでダッシュしてしまうが
パワーメーターの数値を見て我に返る。猿になるにはまだ早すぎる。
一箇所ある下り坂手前の上り坂でアタックし、下りタイトコーナーを攻めてM選手との車間を稼ぐ。
その後の激坂はFTPを超えないペースで踏んでいき、M選手が無酸素領域を削りながら(という希望を持ちながら)追いついてくるのを待つ。
ここまでは想定通りにことが進んだ。
しかし中間地点までの激坂区間が長く、脚を使って追いついてきたはずのM選手の勢いがなかなか落ちない。
流石であるが、こちらだってもとから簡単に勝てると思ってはいない。本当に速いと認めているからこそ、嫉妬の炎に焼かれ続けたのだ。
自身にできる最高の動きを維持し、耐えるのみ。
コース半分を過ぎたあたり、平地コーナー区間で再びアタック。
あとは下ハンドルを握り、コーナーをひたすら攻め、車間が広がることを願いながら全力でペダリングするのみ。
追いつかれたら…もうひとプランあるが、この中間地点でのアタックが1番勝率が高いと踏んでいたので
なんとか決めたい。
ラスト500M。
勾配、出力、車間を見て勝ちを確信した。ゴール。
16年前の自己最高記録を1分16秒更新、僭越ながらコースレコードを更新させていただき、
1年越しの難関チャレンジは最高の結果を以って終了した。
来シーズンも日々できることをコツコツと積み重ねていきたいと思う。
今シーズン、色々な形で協力してくださった練習仲間やお客様…本当にありがとうございました!
また来年も見守っていただければ幸いです。